新時代に求められる教育を行う技術は既に存在します

カテゴリー: 新時代の学びを支える先端技術活用推進方策   パーマリンク

皆さんこんにちは

ICTに関する様々な動きが加速度的に出てきましたね。
文科省からは「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」について が公開されました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/other/1411332.htm
トップページに重要なお知らせとして掲載される力の入れようです。
今後のび行く可能性のある未来のイメージ

今日は(2)新時代に求められる教育とは、からご説明させていただきます

先回ご説明しましたように、単純な、仕様化できるタスクはきっとロボットやコンピューターにとってかわられていくでしょう。そうではない人間ならではの強みが必要である、とあります。
例示されているのは「高い志を持ちつつ技術革新と価値創造の源となる飛躍的な知の発見・創造」で、その能力の前提としては「文章の意味を正確に理解する読解力、計算力や数学的思考力などの基盤的な学力の確実な習得も必要」とあります。これらのことから、以下の2点の教育が必要だと言っています。

  • 1 膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し、自ら問を立ててその解決を目指し、他者と協働しながら新たな価値を創造できる資質・能力の育成
  • 2 1を前提として、これからの時代を生きていくうえで基盤となる言語能力や情報活用能力、AI活用の前提となる数学的思考力をはじめとした資質・能力の育成

「他者と協働」というのは人間がここまで繁栄してきた最大の能力であると考えます。心の情動として現れる「仲良くしようね」も、打算でキツネとタヌキの化かし合いのようなことをしていたとする「共に前進しよう」でも構わないのですが、一人の人間の力では成しえないことを、大勢の人間が寄り集まって成し遂げる、ということが出来るわけですね。
土木工事は象徴的ですが、インターネットの発達ももちろんそうです。こういう理屈で情報をやり取りすることが出来るはずだ、ということを共通理解とし、今や世界中で今までと比べてはるかに簡単に情報をやり取りすることが出来るようになりました。今後はAIを「秘書のように」活用して、いろいろな物事を進めていくことが出来るようになるための前提知識が必要だということになりますね。

 続いて、更なる可能性が広がる「公正に個別最適化された学び」について述べられています。
 子どもの多様化、と書かれていますが昔から多様な子どもはいたわけで、それが知識も技術も未発達だったために一様な集団として取り扱われていただけだと思うのですが、その多様性に正面から向き合うことが重要となる、とあります。
 知識や技術が発達してきたからこそ、授業中前を向いて集中できない子どもはさぼってるとか性根が悪いとか根性が足りないとか親のしつけが悪いとか甘やかしているとかそんな次元の話ではなく、脳の特性としてそのような行動をとる、ということがわかってきたわけですね。同じことをやらせようとしても、人間の脳の特性はバラバラですから、そう簡単にうまくいく方法はなかなか見つからないぜ、ということです。
 ほかにも外国をルーツとし、母語が日本語ではない子どもも増えました。また、今までは出る杭として打たれまくっていたこともある特定の分野にとびぬけている子どもら、多様な子どもたちの個々の状況に最適な学びを進めていくことが重要である、とあります。
 これは本当に近年の技術の発達の結果ですからぜひとも実現していきたいところですね。自分ではどうしようもないことで大人から怒られる子どもがどんどん減っていってほしいと思います。

 そのために、教育ビッグデータを活用することの意義、が述べられています。
もちろん一足飛びになんでもうまくいくわけにはいきませんから、段階を踏んでいくわけですが、まず一番最初に述べられているのは「学びにおける時間・距離などの制約を取り払う」です。
 各場面において最適で良質な授業・コンテンツを活用することが出来るようにする、とあります。
 私は四国で生まれ育ちました。本州に行くときは船です。修学旅行も船で行きました。歌手がコンサートに来てくれることも、著名な美術展が開かれることも、ミュージカルの観劇機会もほとんどありませんでした(皆無ではないですよ)。それが、本州四国連絡橋が開通したおかげで、どれだけ本州との行き来が楽になったか、どういえば伝わるのかわからないくらい革新的な出来事でした。
 それが、今や技術を活用すれば、どこでも多様な学びが可能になる時代になったのです。橋を架けるのには長い年月と莫大なお金が必要ですが、インターネットを通じた疑似的な時間・距離の制約の取り払いでは言うほどお金はかかりません。

 こういうことを言うと「本物に触れてこそ学びだ」といつでも本物に触れる機会のある都会の人が主張するのですが、そこは全く否定していません。本物に触れることはものすごく重要な学びです。でも、それだけに拘泥していればみすみす様々なチャンスを逃してしまうのでは、今まで地方にいる、というただそれだけで子どもの可能性を伸ばし切れていなかったのではないか、ということを申し上げているのです。
 まとめに例示されているのは

  • ・多様な人材・リソースの活用が可能になり、普段触れることが難しい最先端のアカデミックな知見を授業や教材に活用することが可能になる
  • ・多様な人々との学び合いを行うことで、社会性を涵養する機会や多様な意見に触れる機会を増加させることが可能になる
  • ・母語が日本語ではない子どもに対する多言語翻訳システムの活用や、病気療養児に対する遠隔技術の活用により多様な学習方法を支援することが可能になる
  • ・支援を要する子どもにそれぞれ応じた先端技術を活用した教材を提供することで個々に応じた学びの支援が可能になる

 です。もうこれを聞いただけで私はとてもとてもとてもうれしくなります。

 宇宙飛行士の講演は、もう開催地だけのものではなくなるのです。保育園から中学校卒業までずっと同じ顔触れ、5,6人の環境だけで育つのではなく、様々な地域の子どもと触れ合うチャンスができるのです。今まで先生が何をしゃべっているのか理解できなかった子供も、翻訳の助けを借りて理解できるようになれば、授業中苦痛に耐える必要がなくなるのです。病気で行きたいのに学校に行けなくても学びをあきらめる必要がなくなるのです。
 そんなの理想だ、忙しい先生にどこまで何をやらせる気だ、というご意見もあるかと思います。
 でも技術はそれを可能にしているのです。先生に押し付ける、学校で考えてやれ、ではなく社会全体で、これからの宝である子どもたちの教育をもっともっと良くしていこう、という提案だと私は思います。

 何もない田舎が嫌で、私は関東の大学に進学しました。関東に住んでいるということは何という特権だと心の底から感じました。栽培されている農作物をぱっと見て私は何が栽培されているかわかりますが、関東の人は分かりませんでした。でも、私は山手線の内回りと外回りどちらに乗るべきかも私鉄の特急の意味も舞台を見に行くにはどうやってチケットを取るかも知りませんでした。ミュシャ展に行くのに予約がいるのではないかと真剣に悩み、調べる方法もなく途方に暮れていたら友達が気の毒がって連れて行ってくれた、というのも今は笑い話です。
 そういうギャップを感じたことのある方はとても多くいらっしゃるのではないでしょうか。
 これからの子どもたちに、選択する自由を満喫してもらいたい、そう強く思います。

何かご質問、ご意見等ございましたら是非お聞かせください。
よろしくお願い申し上げます。